秋といえば祭!弥栄町のお祭りに参加してみた

2023.11.14

けんご

 秋といえば食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋…など、何かと活動するのに気持ちの良い季節ですね。京丹後の秋といえば、もちろん「秋祭り」でしょう!毎年、10月2週目の土日頃に各集落で秋祭りが行われ、地域の方々も活気が溢れる時期です。そんなお祭りの様子を今回はお届けします。

市内の各集落で実施される秋祭り

 秋祭りの特徴としては、農産物の豊作を願ったり収穫に感謝したりする、という点があります。お米が特産の京丹後市では、たわわに実った稲穂が9月から収穫されはじめ、10月に入るとほぼ稲刈りが終わります。お米農家さんからすると、田植えから暑い夏を越えて、ホッとするのがこの秋。

 豊作の年もあれば、今年のように猛暑で大変だった年もありますが、水や土など自然の恵みあっての農業なので、収穫を期に感謝の気持ちを納めます。今でこそ農家さんの数は減ってきていますが、昔の農村などは村を上げての一大イベントとなっていました。

 開催時期や目的はどこの集落も似ていますが、内容が全く異なる点が面白いところ。神輿を担ぐ集落もあれば引き屋台や太刀振り、神楽、笹林、三番叟を行う集落、子どもたち中心に行う集落もあれば青年会が中心となって行う集落などさまざまです。さらには、山車の呼び方も異なります。今回取り上げた祭りのように、太鼓とその叩き手を担ぎ上げて練り歩くものを、弥栄町の黒部や和田野では「太鼓輿(たいこごし)」、丹後町間人では「屋台(やたい)」、久美浜町の一区や二区では「太鼓台(たいこだい)」などと呼ぶのもおもしろいですよね。秋祭りは同日に行われることが多いので、他集落のお祭りを見に行くことができず、全く違う内容に驚いたりすることもあります。

弥栄町黒部区のお祭り

 色々なお祭りの特色がある中で、弥栄町黒部区のお祭りの様子を写真と共にご紹介します。神事が行われる深田部神社には、室町時代に作られたとされる厨子(ずし・神様を安置するための箱)が残っており、秋祭になるとその厨子から神輿に神様が宿り神事が行われます。現在はお祭りが開催される頃に稲刈りを終えていますが、昔は稲刈り前に自然の恵みに感謝する目的で神事が行われていました。

 お祭り当日、朝から公民館に太鼓輿の担ぎ手が集まり、8時になると練り歩きスタートです。集落の青年たちが中心となって担ぎます。集落で事業をされている方やお祭りの役員、新築や子どもが生まれた家などを周りながら、祭りの盛り上げ役として集落内を練り歩きます。

 太鼓輿の行先となる場所は宿(やど)と呼ばれていて、商売繁盛や家内安全といったご利益を受ける代わりに、お酒やご飯などを担ぎ手に振る舞います。太鼓輿には太鼓の叩き手が二人乗っており、また榊や提灯など色々な装飾も施されているのでかなり重たいので、ただ担ぐだけだとしんどさは半端ないのですが、「わっしょいわっしょい」と大きな声を掛け合って担ぐことで連帯感や重さを緩和する効果があるんだとか。そもそも、「わっしょい」はみんなで背負う「和背負い」が語源になったという説もあるくらいですからね。

 振る舞われるお酒やご飯は宿によって異なり、担ぎ手としては身体を休めつつ、その場その場で美味しいご飯をいただくのも楽しみです。太鼓輿の練り歩きは、集落の元気な若者が祭を盛り上げるために、江戸時代から始まったと言われています。

 午前中いっぱい宿を回った後は公民館に戻って1時間ほど休憩をし、午後からも宿を回り続けますが、15時頃からはいよいよクライマックス。神社近くの広場で行われている神事に合流します。ここでは神様を案内する役である猿田彦神や祭りの賑やかし役である踊り子たちが儀式を行っていて、集落の人々もどんどん集まってきます。

 黒い三角帽子を被っているのが踊り子で、その後ろを傘や鉾を持った使いが付いていきます。傘や鉾は疫病や自然災害が起こらない願いが込められているそうです。

 神事では、神様が宿った3基の神輿が神社から石段を下って降りてきて、御旅所(おたびしょ・本社より出た神輿が仮にとどまる所)に向かいます。ここは馬場先(ばばさき)と言われており、昔は実際に馬を走らせて流鏑馬(やぶさめ)を行ったりしていたそうですが、今は馬の手配や乗り手がいないことから、神輿が御旅所へ向かうだけとなっています。しかし、その道神輿と太鼓輿がセリ合うシーンは、お祭りの中で最も盛り上がります。

 神様の行く手を阻む理由としては諸説ありますが、明治以降の戦争に出兵する若者たちが、故郷で最後の参加となるかもしれない祭りを存分に楽しみたいという思いであったり、祭りを終わらせたくない思いが、お祭りの風物詩となったと言われています。

 一通りの神事を終えると、神様の神輿から神社へと戻っていきます。それに続いて太鼓輿も神社の境内に続く石段を登っていきます。体力や担いでる肩も限界に近いので、最後の石段は本当に大変です。汗

 最後の力を振り絞って境内まで太鼓輿を担ぎ切ってお祭りは終了。担ぎ手はもちろん、お祭りで役をしていた人たちは公民館に集まり、夜通し懇親会が行われます。

お祭りを開催する意味

 お祭りに参加して感じることは、集落の連帯意識が醸成されるという点。僕自身が移住者ということもあり、集落の一部の人しか関わりがありませんし、お祭り内容や行事が執り行われる場所の存在も知りません。

 そういった状況でもお祭りに参加すると、普段は出会わない人と顔を合わせ、一緒に重たい神輿を担いでいれば、自然と会話が生まれ連帯意識が出てきます。また、集落によってはお祭りの中で行われる神事の役割が当番制で回ってきます。僕も過去に経験があり、白装束を着て儀式に参加しました。もちろん一人で行う訳では無いので、集落のおっちゃん達から儀式の意味などを聞けます。

 個人的に驚いたのは、普段はただ空き地だった場所がお祭りではメイン会場に変わるということ。笑 そういった時間を過ごして、集落で大事にしている文化やマインドを知ることができるのがお祭り。

 そんなお祭りも少子高齢化によって存続が厳しい集落も出てきています。過去から比較すれば、参加人数はもちろん住民一人ひとりの生活スタイルも多様となっている今日。同じ規模、同じやり方を続けるには限界があり、継続する為の変化を考えなくてはいけない時期がきています。

 僕の集落では、地元の大学生が神輿の担ぎ手として友人を連れて帰ってきていました。小さな変化ではありますが、集落としてお祭りを継続していくべきなのか、それにはどんなやり方が必要なのか、を考えながら、1年に1回のお祭りを楽しんでいきたいですね。

 今は地元を離れた皆さんも、お祭りを期に帰ってきてみてはいかがでしょう?苦手な方も居ると思いますが、もしかすると昔とは違った様子がみられて、集落のことを見直す機会になるかもしれませんね。