休もう、歩き出すために。 #わたしの夏休み

2021.8.19

たんぽけライター

その夏、私に課せられた宿題はたったひとつ。

「生きることだけ、頑張る」。

昔から、白黒思考の傾向が強かった。
「100にできないなら、それは0と同じだ」
不思議なことに学校のテストや模擬試験だと、その思考は発揮されない。
「8割もできたんだから上出来でしょー!」
とニマニマするくらい。なのに、なぜか生活面でそれは発揮されないのだ。
整頓しようと頑張るけれど、なんでだろう、できていないところばかりが目につき
「完璧にできないなら、やめだやめだー!」
と投げ出してしまう。結果、ちょっとの整頓もやめてしまうので、気が付いたらぐちゃぐちゃ。
そしてふとした時にそのぐちゃぐちゃが見え、自分がたまらなく嫌になるのである。

高校を卒業し、大学へ進学し、そこそこに勉強してまぁまぁ遊んで、そして社会人になって。
不定休ではありながらも友達と予定を合わせ、恋人とは楽しくお付き合いをし、割と問題なく生きていると思っていた。

だけど、諸行は無常。ある時、全ての生活環境が変わる日が来て、私は家族と友達以外のなにもかもを失ってしまった。
仕事もなくしたわけだから
「ニートうぇーい!」
くらいの軽さで、ただ自分の楽しいことをすればよかったのだと、今になれば思う。
しかし、そこで出てきたのが、例の白黒思考である。
「休んでるお前には価値がないぞ、絶対休むなよ?」
やなこと言うよなぁ。でもなぜかその時の私は白黒の奴が正しいと信じこんでしまったのだった。

そして無理矢理仕事を見つけ、恋人も作り、休日には予定をパンパンにつめる。
そんな日々を送っていたら、ある日急に糸が切れた。
その瞬間、見ないようにしていたぐちゃぐちゃが視界に飛びこむ。
そこからは坂道を転がるように、できないことが増えていった。
夜は眠れず、朝に怯え、出かけることもできず、あらゆる欲が消失していく。
どうにか受診したクリニックで
「何もせず休め」
と言われたことを伝えると、親から出てきた言葉は一つ。

「生きることだけ頑張ってくれたら、それでいい」

そうしてその夏、私に課せられた宿題は“頑張って生きる”となった。
それをどうにか仕上げたので、今ここでこうして生きている。ひとつだけのシンプルな宿題だったがゆえに集中でき、その後の再発はない。
宿題をこなしたお陰で、白と黒の間のグレーも少し許せるようになったと思う。

むかし流行った“ロングバケーション”というドラマの中に
「何をやってもうまくいかないときは、神様がくれた長い休暇だと思って、
無理に走らない、焦らない、頑張らない、自然に身をゆだねる」
というセリフがあった。
年単位で続くウィルスの影響で、今がとてもしんどい人もいると思う。
もし少しでも思い当たるなら、どうか勇気を出して休んでほしい。
そして私と同じように
「生きることだけ、頑張る」
という宿題に集中してほしい。

“すべてのことを頑張れないならあなたには価値がない”ってささやくのは誰?
“必死に前に進まないとダメだ”って決めつけているのは誰?
流れに身をゆだねるのは怖いことだけど、流れに逆らって頑張りつづけた結果、おぼれてしまうのは悲しすぎる。
幸せに生きるために、私たちは頑張っているのだ。
無理をして体や心を壊したら、何のために頑張っているのか。


暑い時期を快適に過ごし、また秋から集中していけるように設けられていた夏休み。

大人だって同じように休んでいい。

整った時に、また歩き出せるように。