夏の終わりに10年ぶりの新曲リリース!コンスト“再生”の物語(前編)

2022.8.1

川口優子

京丹後市ゆかりのバンド「CONSTRUCTION NINE(コンストラクションナイン)」(以下コンスト)が、2022年夏の終わりに、約10年ぶりの新曲をリリースします。コンストは、ボーカル/ギターの荻 創太さん、ベースの小島 佐登史さん、ドラム/コーラスの荻 弦太さんからなる3人のバンド。中でも、京丹後市出身の弦ちゃん(荻 弦太)は、先日紹介したLOCAL Tシャツを制作している平井くんと同じCRAB WORKS(クラブワークス)のメンバーでもあり、一緒にイベントをするなど仲良くしてもらっています。ボーカルの創ちゃん(荻 創太)は、弦ちゃんの弟にあたります。
今回の新曲は、2曲入りの、7インチヴァイナルシングルとしてリリースされます。なんと今回、コンストをよく知る平井くんと一緒に、レコードジャケットのデザインに携わらせていただきました!

このインタビューでは、弦ちゃんに新曲について伺うとともに、弦ちゃんの生い立ちを通して、コンストの音楽や活動を紹介したいと思います。

子どもの頃から馴染み深い「黒田てんぷら店」の店先で。おばちゃんと弦ちゃん

夏がテーマの2曲入り 7インチヴァイナルシングルを発売

川口:コンストのレコード、もうすぐリリースですね! おめでとうございます。今は、弦ちゃんは丹後、創ちゃんは小豆島、小島さんは大阪と、それぞれ拠点は離れていますが、ライブなどで活動されてますね。久しぶりの新曲ですが、心境はどうですか。

荻:「TRAIL」っていうTHE BRYANとのスプリットアルバムを2012年7月に出して以来、約10年ぶりの音源なんで、まずレコーディングがすげえ緊張したね(笑)。こんな感覚だったかなって。何もかも新鮮だったね。

川口:新曲を出すきっかけって、何だったんですか?

荻:大阪や東京とかで、誘われて、タイミングが合えばライブ活動はゆるやかにしとったんだけど、今までにつくった曲でずっとやっていて。それは、もちろん盛り上がったり、自分も上がったりはするんだけど、どっか冷静ではあったんだよね。そしたら、小島がミーティングのとき、「楽しいけど、昔みたいな初期衝動というか、ギラギラ感って、ちょっと無くなったよね」みたいなことをポロッと言って。その時、僕も同じことを思っとって。で、「ちょっと曲でもつくらへん?」ってなった。対バンして、お客さんや仲間の反応を見るとか、どう思われるんだろうかっていう、最初の頃に感じていた緊張感を感じたいって気持ちが、3人一致したって感じだったかな。

川口:それはいつぐらいから思い始めていたんですか?

荻:結構前から思い始めてはおったんだけど、言葉に発したのは一昨年(2020年)ぐらいかな。で、実際に、3人で曲づくりの時間を設けるっていうのをやり出した。そのときはまだ、リリースどうこうとかはまったく考えてなかったけど。

川口:リリースしようってなったのは、何かきっかけがあったんですか?

荻:今回リリースするのは、「少年晩夏」と「over the night」っていう2曲で、夏をテーマにした曲なんよ。両方とも創太が持ってきた曲なんだけど。歌詞に夏が入っとるし、(つくった曲の中から)夏にその2曲だけをピックアップしてリリースしたらおもしろいなっていう話になって。

川口:今の時代にアナログレコードって、新鮮ですよね。

荻:もう、それは、創太の趣味というか憧れ。自分たちの曲をレコードで聴いてみたいっていう思いが、あいつの中にあったんだと思う。でも、意外性があって、僕もおもしろいかなと思う。

7inch Vinyl Single / side A:少年晩夏
7inch Vinyl Single / side B :over the night


川口:今回、そのレコードジャケットのデザインに携わらせてもらって、めっちゃうれしかったです。弦ちゃんと出会ったのは、健ちゃん(梅田健太/shaggy)の「出力」(2018年)というイベントに一緒に参加したときですよね。平井くんも一緒でした。

荻:そうだね。デザインをお願いしたのも、やっぱりゆーこちゃん(川口)を知っとるし、どうせなら、近い人と一緒にやりたかったし。

川口:ジャケットを油絵で表現してはどうかと言ってくれたのは平井くんで、私もすぐに賛成しました。今回のテーマである「夏」をイメージした創ちゃんの気持ちというか、心象風景みたいなものを、油絵の独特の筆致なら表現できるのではないかと思いました。そしたら平井くんが、「みんなにも描くの参加してもらったらおもしろいんじゃないか」って提案してくれて。それもめちゃいいと思いました。

荻:今回のジャケットだったりレコードの内容だったりは、創太に全部任せとって。結果的に、あの油絵の感じは、創太のイメージをちゃんと表してもらっとるんだと思う。

川口:ゴールデンウイークに集まってもらって、みんなに少しずつ色を塗り重ねてもらったんですよね。最初はこわごわ描いていたのが、だんだん大胆になっていって(笑)。あの時間は、本当楽しかったです。

荻:みんな40歳くらいになっても、何か新しいことに取り組んでいくっていう、それもストーリー性があるというか、新鮮でよかった。あのジャケットの仕上がりに導いてもらったのは、やっぱり、ゆーこちゃん、さすがだなと思った。そういう経験を、みんなでしていきたいよね。出会った人とモノづくりができることに、幸せを感じる。

川口:私は今回、ジャケットのデザインをしたっていうより、みんなの想いを形にしたって感覚の方が強いです。私は何もしていない、それぞれの想いを表現したらこうなったっていう、ある意味、コンセプトの段階からアウトプットの輪郭がしっかり見えていたというか。私が理想とする、デザインのあるべき姿が体現された気がします。

油絵を塗り足してく弦ちゃん(2022年5月、ジャケット制作)
パレットナイフでアクセントを入れる創ちゃん
みんなに少しずつ塗ってもらいました

常に音楽があった幼少期

川口:では、ここからは、弦ちゃんの生い立ちとコンストについて、いろいろ聞いていけたらと思います。まず、音楽に興味を持ったきっかけって何だったんですか?

荻:やっぱり親父の影響がめちゃくちゃ大きいって思うね。クラシックとか、ジャズとか、歌謡曲とか、まぁ演歌も、洋楽から邦楽から、もう隔たりなく聴くんよ、うちの親父って。音楽が純粋に好きっていうタイプで。

川口:家では常に音楽が流れてたんですか?

荻:常にというか、親父が自分の部屋にオーディオシステムを組んで、最高の状態で聴きたいっていう人で。その部屋に呼ばれて。今でも憶えてるのが、保育園の頃、(フランスの作曲家)ラヴェルの「ボレロ」をひたすら聴かされとった(笑)。他にも、(京都府丹後)文化会館にたまにクラシック演奏が来るんだけど、来たら絶対連れていかれて。

川口:当時クラシックは好きでしたか?

荻:そんな好きじゃなかった。でも、いろいろ聴いて、(大人になってから)ボレロの解説しとる番組を見ると、「あ、こういうことだったんか」って知って。同じくラヴェルに「亡き王女のためのパヴァーヌ」っていう曲があるんだけど、HIP HOPのサンプリングで使われとったので知って、めちゃくちゃこのメロディええなぁって思った。クラシックのおもしろさは、あれから30年以上たった今ようやく分かりだしたところ。

川口:弦ちゃん自身が音楽に目覚めたのは、いつだったんですか?

荻:僕より創太が早かったんよ。あいつ、6歳の頃にちょっと病気しとって、3年ぐらい入院しとったんだけど。そこに小6とか中学生っていう年上の人らがおって、めっちゃ音楽教えてもらってた。BOOWY、X JAPAN、B’z、長渕剛とか、ポップスだね。それを、週末に外泊で帰ってきたときに、「これええなぁ」言うてカセットテープで一緒に聴いとった。あれがなかったら、あいつは多分、音楽してないと思う。あの時に、歌うとか聴くとかいうのを覚えたんだと思う。で、創太に影響されて、一緒にJ-ROCKやJ-POPSを聴くようになった。

川口:特に印象に残っている曲はありますか?

荻:B’zだね。B’zの「ALONE」を初めてミュージックステーションで見たときに、親父が珍しく、「おい、誰だこれは」って言うた(笑)。僕と創太も一緒に見とったんだけど、「これめっちゃええ曲だなぁ」ってなったのを今でも憶えとる。多分、最初に音楽でビビビときたのは、あれかもしれん。他にも影響受けたのが、白鳥英美子さん。彼女の「AMAZING GRACE」っていうカヴァーアルバムがあるんだけど。その頃は、カヴァーアルバムが何とか分かってなかったけど、家の車で流れとって、めっちゃ聴いとった。あのアルバムはすごい。今でも染みついとるね。

川口:本当にいろんな音楽聴いてたんですね。

荻:あとはゲーム好きだったで、ゲーム音楽。ドラクエのすぎやまこういちさん。親父に大阪に連れて行ってもらったとき、日本橋のCD屋で「好きなん1枚買うたるわ」言われて、その時買ってもらったんが、ドラクエⅣのアルバムで。

川口:サウンドトラックですか?

荻:僕もそうだと思って帰りの車で聴いたら、普通のファミコン音楽とオーケストラバージョンと、2枚組だったんよ。

川口:まさかの(笑)

荻:オーケストラバージョンを聴いたら、全然違うんよね。ゲーム音楽のピコピコ鳴っとるのが、昔聴いとったクラシックと融合して。そこでようやく、クラシックやオーケストラのかっこよさが分かったというか。あれがあったで、シンプルな曲でもオーケストラにアレンジしたら感動するんだとか、もっとキレイになるわっていう感覚を覚えたよね。編曲の深さ。でも、そこで感動できたのは、小さい時からクラシック聴いたり、コンサートに行ったりしとったでかもしれん。嫌じゃないというか、そういうのにすんなり入りやすい体質というか、耳になっとったんかなと思う。

「人口が少ない」から始めたドラム

川口:ドラムを始めたきっかけって何だったんですか?

荻:6歳からピアノをやっとったんだ。だから、すんなり楽器や音楽に入れたっていうのはあるかもね。授業でのリコーダーがめちゃくちゃ楽しくて、アニソンを耳コピしてた。最初は頑張ってピアノでやってみて、で、これが縦笛になったらこうだなぁって譜面に書いとった。小4ぐらいの時。できたのを女子に見せて、キャーキャー言われたかったんだろうね(笑)。だから、ドラムやろうっていうのも、自然だったかも。

川口:いろいろ楽器がある中で、ドラムを選んだのは。

荻:また創太の話になるんだけど。僕が高1のとき創太は中2で、力也(平井くんの弟)と本城(同じく同級生)とバンドしとったんよ。創太はギター弾いとって。

川口:中2でバンド、創ちゃん凄いですね。

荻:創太に「おみゃあもギターせえや」言われたけど、全然弾けんくて。よくあるFコードでつまずくとか、ちょっと難しいコードがあったら弾かれへん、ってなって。当時、僕は60年代70年代のLed ZeppelinとかDeep Purpleみたいなハードロックが好きだって。ギターはテクニックが一番!速くてなんぼ!かっこいいリフ弾いてなんぼ!みたいな聴き方をしとる時で。でも、全然できへんで、もうええかと(笑)。

川口:弦ちゃんでもつまずくことがあったんですね。

荻:もうええわって思った時に、創太に、「ベースかドラムやったら、人口が少ないで呼ばれるど」って言われて。最初はベースやろうかと思ったんだけど、あ、ベースのほうが人口多いわと思って(笑)。「ドラムだったら、本城が教えてくれるし」とも言われて。

川口:それで買ったんですか?

荻:買った(笑)。当時ずっとバイク買おう思ってバイトしとったんだけど、それを全部ドラムに注ぎ込んだ。

川口:決断力!

荻:丹後にはもちろんスタジオとか無かったし、バンドの練習はドラム持っとるやつの家でするんだけど。で、うちに本城が来て(買ったドラムを)たたいとるのをずっと眺めとった時、「あ、創太はこれがやりたかっただけだわ」と思って(笑)。創太が自分のバンド練習がしたいがために、僕にドラムを買わせただけだったんだと気づいて(笑)。

川口:(笑)

荻:でも、それにちょっと腹立って、上手になろと思った(笑)。本城がたたいとる音聴いて、それを見て、これかな、これかないうて練習した。だから、ドラムしたい、音楽したい、この人に憧れて、っていう入りじゃない。買わされた、ハメられた、それがきっかけかな(笑)。

バンドに明け暮れた高校時代

川口:弦ちゃんが初めてバンドを組んだのはいつだったんですか?

荻:堀井くんっていう地元の友達に「弦、ドラムやっとるらしいやん、JUDY AND MARYのコピーでライブするで、 たたいてくれへんか?」って言われたのがきっかけ。高校2年の時かな。

川口:ある意味、作戦通りですね(笑)。どこでライブしたんですか?

荻:文化会館の練習場かな。最初のきっかけはそれで、そのうち、abitoっていうレンタルスペースみたいなところで、自分たちでもライブを企画するようになっていく。ステージから照明から、自分らで集めてきて。役場行って平台借りてきて、ステージ組んだりね。音響も、山田さん(my sound)や橋野さん(あんだんて)にお願いして。あのお二人は大きいよね。僕らはバンドのやり方がまったく分からんかって、PAとかミキサーとかも分からんで、生音でやれる思っとったしね。助けてもらって。チケットとかも、当時PC使えた友達に手伝ってもらってつくったり。そういうのが、めちゃくちゃ楽しかった。

川口:私もその世代に峰高いたかった(笑)。

荻:上下関係なかったね。うちらが高校3年。UNCHAINらが2年。創太や佐藤が1年。だから、ほんまにごった返しとったいうか、隔たりなかった。周りに助けてもらったり、友達と一緒に何かつくるのが楽しいっていう、その延長線上だもん、ずっと。

川口:創ちゃんともやってたんですか?

荻:その頃、堀井がまた別のコピーバンドやりたい言うて。その時に「ギターどうしよう」って言うてきたで、「ほんなら、創太呼ぶわ」言うてやったんが、「ケンカキック」っていう(創太と)初めて結成したバンド。あの頃は、いろんなバンドかけもちして、そんなんざらだったし。まぁでも、あの頃が原点だよね。年に3、4回とか、自分らで企画してライブやって。死ぬ間際には、あの頃のこと思い出すかも(笑)。そのくらい原点。すごい楽しかった。

コンストは「自分で何かをつくり出せる」と思えたバンドたった

川口:高校卒業後は、どんな進路だったんですか?

荻:やっぱり音楽しかないなと思って、専門学校に行った。ドラムやパーカッションの専科で学んで、そこで、今までやったことないR&BやFUNK、JAZZとかのジャンルを幅広くやる機会があって。ゴスペルとかもやったし。今まで聴いとった音楽以外の、深さというか世界観が一気に広がった。

川口:ドラムの勉強もそこで?

荻:うん。まぁ基礎だけど。あとは、このジャンルにはこうやってアプローチするとか。例えば、R&Bだったらこういうフレーズとか、こういうグルーヴでアプローチしたらいい、とか。いろんなジャンルの音楽に合わせれる人がおるのが楽しかったね。

川口:他の科の人とも一緒にやったりしたんですか?

荻:した。だから、小島との出会いも、専門学校だね(1期下のベース科)。

川口:その時もバンド活動はしていたんですか?

荻:創太とはもうやってなかったけど、メロコアのバンド組んだり、他にも、R&BやFUNKやPOPS、何でもやってた。懐かしいな(笑)。今思えば、あの頃いろいろな音楽に触れていたことが、今の曲づくりの礎になっとるんかもしれん。

川口:卒業後は、東京に行ったと聞きました。

荻:そうそう。ちょうど僕の従兄弟が、東京のバンドでサックスを吹いとって。ある時、「何もしとらんだったら入ってくれへん?」って電話がかかってきて。東京行くのもええかもしれんな、と思った。卒業して、自分の音楽をどうしようかなってちょうど模索しとるときだって。

川口:タイミングが合ったんですね。

荻:東京にいたのは1年くらいなんだけど、その1年は、めっちゃおもしろかった。もちろん、東京を経験するっていうのもそうなんだけど、そこで僕、ベン・フォールズ・ファイブ(の音楽)に出会うんよ。ピアノボーカルのバンドで。それがたまたま練習しとったスタジオで流れとって。聴いた瞬間、音楽感が変わった。

川口:どの曲が流れてたんですか?

荻:「Smoke」っていう曲で、ピアノバラード、3拍子系で、マイナーの。めっちゃ切ないけど、めっちゃポップで、めっっっちゃエモいんよ。で、当時のメンバーに「この曲知っとる?」ってきいたら、「ベン・フォールズ・ファイブやん。アルバム持っとるで」って言われて。それを聴いたら、もう衝撃で。「僕はこういうのがやりたいんだ」と思った。こういう曲つくりたいんだな、こういう感覚になるバンドをつくりたいんだな、自分でやりたいんだな、っていうのが芽生えた。で、その後すぐバンドを抜けるんだけど(笑)。

荻:その後(バンドをつくろうと)メンバー募集とか出したんだけど、なかなか見つからんくて。で、そんな頃、当時大阪で活動していたコンストのサポートもしとったんだけど。

川口:コンストは、その頃はもう活動していたバンドだったんですね。

荻:そう。小島と創太と、元UNCHAINの佐藤と、あともう一人僕の同級生の4人でやっとったんだけど、ドラムが抜けて。でもライブはあるで、すぐたたける奴、誰?ってなったときに、弦ちゃん、ってなって電話がかかってきた。それで、3ヶ月に1回くらい大阪帰って、ちょっと練習してライブしてっていうのをやっとったんよ。

川口:コンストは、どんなバンドでしたか?

荻:多分、自分はつくる側になりたいんだって思い始めたときに、コンストは僕がつくったバンドじゃないけど、やっぱ創太だで、すげー言いやすかった。「こうせえや」「こうしようや」っていう、自分の意見が言えるバンドって僕、初めてだった。

川口:それまでは、意見とかあまり言わなかったんですか?

荻:言うとったけど、ドラマーが言っていいのかな、とか思ってた。スタジオでも、みんなコードの話とかになるやん。そのとき、僕はこう思うけど、僕が言うたら場違いなんかなぁ、とか。引っ込んどこう、ドラムやハモリのことだけ考えよう、とか思っとった。でもコンストは、意見が通るというか、「こうしたらええちゃう」っていうたら、「え、何それ」みたいな。創太も「そんなんワシ、考えつかんわ」とか言うてくれて。僕も気持ち良くなってきて、「あ、ほんなら、こんなんもあるで」とか言うて。「え、それどうやっとる?」みたいなやりとり。「こうしようや、こうしようや」っていうのが、コンストではあった。

川口:メンバー同士、垣根をこえたやりとりができたんですね。

荻:ベン・フォールズに会って、自分で何かつくり出したいっていう思いと一致しとったのが、コンストだったんかなっていう。

川口:それで、コンストに加入するんですか?

荻:うん。今でも憶えとるもんね。東京の部屋に一人でおったとき、小島から「弦さん、ダメ元で言うけど、コンストやってくれへんかなぁ」って電話がかかってきて。半笑いで(笑)。でもそこで「あ、全部つながった」って思って、「ええで」って即答した。転機だったね。

CONSTRUCTION NINE(2006年)

アルバムリリース~曲づくりとライブの日々

川口:大阪に戻ってきて、どんな風に活動していましたか。

荻:メキシコ料理屋でバイトしとったんだけど、その時のマスターがメキシコやペルーの音楽が好きで、スパニッシュとか。いろんな民族音楽を吸収できた。レゲエもそこで知ったし。

川口:吸収できるっていうのが弦ちゃんの強みなんでしょうね。

荻:いいって思ったものは、とりあえず勝手に入っちゃうよね。どれが好きとかじゃないんよ。どのジャンルでも、このワンフレーズが好きとかこのコード進行が好きとかいうのが、絶対にある。

川口:その頃に、曲をつくり始めたんですか?

荻:そうだね、その頃、佐藤が抜けるんよ。ギターが1人減る、音が1つ減るってことは、バリエーションが減るってことで。創太もめちゃくちゃテクニカルなギター弾ける訳ではないで、歌とコード弾きに集中せなあかんってなったときに、攻められるのはドラムかベースの二択だなと。「じゃあどっちもやろうや」ってなって。そしたら「こうしよう、こうしよう」っていう案がすごい出て。小島って、ベースラインが結構歌うんよ。それ弾いちゃう?っていうくらい、ハイポジションとか、いろんなところに動いちゃう。それがあいつの良さなんだけど。それで小島も開花したというか。もう弾きじゃくろうと、自分らを出そうと。

川口:自分を出せるって、いいですね。

荻:そこで、曲もつくってええんかなと思った。曲を1曲書いてもいけるんちゃうと思って。それで初めて書いたのが「KTR」っていう曲。

川口:KTRは、丹後で走っている汽車(京都丹後鉄道 ※2007年当時は北近畿タンゴ鉄道)ですね。

荻:創太は「(抜ける)佐藤に向けて曲をつくろうや」って言うとったけど、僕的には、創太も一緒に歌詞書いとったで、曲をつくりながら地元を感じて、「KTR」にしたいなっていう。もちろん佐藤に向けてという気持ちもあったけど。

川口:他にも何曲か書いたんですか?

荻:「ライン」っていう創太が持ってきた曲があるんだけど。最初サビをつくってきて。だけど僕は、「これはAメロに持ってきたほうがええで」言うて変えて、そのままBメロをつくる。そしたら創太がまたサビを持ってきたから、また変えて、Cメロをつくる。「世紀零度」って曲も、ベースのフレーズは僕が言うたかもしれん。普通はベーシストやギタリストがドラマーに言われたら、あんまりええ思いせんと思うんよ。小島のすごいところって、全部聞いてくれる。気に入ったらそのまま使ってくれる。いや、すごいなと思うで。普通、自分でつくったフレーズを自分で弾きたなるやん。ドラマーの僕がつくったフレーズをベーシストが弾くって、あんまりないと思う。

CONSTRUCTION NINE(2007年)

川口:そして2007年10月、1stミニアルバム「RETURN TO THE MOON」がリリースされますね!

荻:これも、ほんま全部出会いというか縁。それこそ、平井だったり菊地さんや高橋さん。菊地さんは、平井が東京にいた頃、お世話になっとった方で、映画の制作会社をされている方。僕らのライブとかも観にきていただいて、応援していただいて。で、平井がLOSER RECORDSっていうレーベルを始めさせてもらって、そこからの1作目のリリースにしてもらった。菊地さんがいなかったら、何もできてないかもね。高橋さんは、お世話になっていた新神楽(大阪心斎橋のライブハウス)で出会って。そういう出会いが積み重なって、リリースさせてもらえたアルバム。小さいところからの積み重ね。つながりというか、人だよね。ほんま、それだけ。

川口:翌2008年11月には2ndミニアルバム「TRIANGLE」もリリースして。すごいペースですね。

荻:自分の曲を出して、まわりのバンドとかにある程度評価してもらえたで、それは自信につながった。曲つくるの、やっぱ僕楽しいんだなと、自分の中ですごい転機だった。2ndでは、結構曲つくったし。

川口:ツアーもしながら。

荻:当時は、ライブして曲つくってっていうのが当然だったで。関東、関西、九州とかをまわりながら、車の中にキーボード持ち込んで曲をつくっとったもんね。年間100本以上、1/3はライブしとったかな。バイトしながらライブしてっていう生活。今では考えられへんけど、そういうのが、まぁトレンドじゃないけど、時代だったね。やってなんぼ、みたいな。丹後で合宿もしたで。

川口:丹後で!いいですね。

荻:久美浜で。かぶと山越えたとこに内海があるんだけど、そこに親父が友達らと趣味で建てた小屋があるんよ。囲炉裏やってカレーを食いたいっていうだけの(笑)。

川口:大人の遊びですね(笑)

荻:そこにレコーディング用の機材を持ち込んで、合宿。1週間くらい、曲づくりをしたなぁ。

川口:やりたいことを思いっきりやってる感じが、ほんまいいですね。弦ちゃんの曲って、かっこいいですよね。心に残るフレーズが多いというか。

荻:でも、今聴くと、青いなって思っちゃうけどね。まぁまぁ、その時の衝動というか。その時は正解な訳だでね。あの時にしか出せんかったっていう。

川口:そんな中、いったん活動を休止されるんですよね。

荻:うん。2012年の12月かな。いったん休止。それぞれ生活スタイルが変わってきたというか。そういうタイミング。休止するって決まったとき、30代に突入した時なんかな、さすがに親孝行せなあかんかな、やっぱ役に立つところで働きたいなと思って、丹後に帰ってきた(家業を継ぐ選択)。親からどうこうはまったくなかったけど、長男だし。創太も小豆島に行って、小島は大阪で。多分、各々の人生の変化の、転換期で、いう感じ。

川口:丹後に帰ってきてから、私もイベントとかでお世話になりましたね。後半は、丹後での活動と今度出す新曲について、掘り下げていけたらと思います。

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▼リリースに先立って「少年晩夏」のMVを公開中

CONSTRUCTION NINE “少年晩夏” MV/撮影・編集:平井 勇太(CRAB WORKS)

▼CONSTRUCTION NINE Webサイト
https://www.constructionnine.com/

▼CONSTRUCTION NINE Twitter
https://twitter.com/CONSTRUCTIONNI1