「手をのばそうよ。届くから。」 #はじまりの春

2021.5.1

たんぽけライター

ポカリスウェットのCMの衝撃

CMに感動して涙することはあっても、
たった一行のキャッチコピーに泣くことは
泣き虫な私でもそうない。

ポカリスウェットの新CMが
Twitterで流れてきたのは4月9日の朝。

不意に動画をクリックしたのが最後、
不思議な感覚に包みこまれた。

まずは、全画面でじっくりと、
音を出して観てほしい。

きっと、今の時代の少し先を魅せている。
希望を込めて、描いている。

私には、まるで毎日rootsに来てくれる
高校生を見ているようだった。

【roots】京丹後市未来チャレンジ交流センター

Instagram ▶︎ @roots_kyotango

高校生たちの目がキラリと光る瞬間には、
藤棚のような光や、講堂の幕が確かに見えている。

そして、自分の手で何かを掴んだ高校生の頬には
艶があって見たことのない表情で笑う。

それは、些細なことなのだ。
お気に入りのスニーカーに気づいてもらえたり、
ずっとやってみたかったことが伝わったり、
誰かの話を聴いて、面白い!と思ったり。

先日の土曜日も、そうだった。

前谷開さん、asamicroさんという
二人のアーティストの表現を生で感じた高校生は
そのまっすぐな感覚をピンと張って、
言葉にできない、でも溢れる衝動を伝えようとしてくれた。


「生きている。」
そう感じる瞬間はとても尊い。
どんなに制限があっても。

大人もそれに惹きこまれていく。
仲間ができていく。

CMを観てからしばらくして、
私はこの広告の解説文を読む。

「手をのばそうよ。届くから。」

CMの最後の一言を文字で見たとき、
胸がぎゅうっと掴まれた。
気づいたら、泣いていた。

「手をのばそうよ。届くから。」

私は毎日そんな気持ちで高校生と話をしている。
「やってみたい」ことをカードに書いてもらって、
まず、いっしょに何かやってみている。

何が起こるかはわからない
でも君が見えた

そう感じてもらいたくて、
rootsという居場所を育んでいる。

ぴったりの言葉だった。

みんなと違う方に走り出す、新ヒロインの中島セナさん。
自分らしく進むのは大変だけど、きっと楽しい。
いっしょに走る仲間がいれば、もっと勇気が湧いてくる。
2021年、はじまりの春。手をのばそうよ。届くから。
逆風はやがて追い風に変わる。

YouTube 大塚製薬 公式チャンネル

手をのばして良かった

このCMを観て思い出した、高校時代の話をしたい。

高校1年生で参加した「聞き書き甲子園」。
全国の高校生100人が、森や山で暮らす名人と呼ばれる
おじいちゃんおばあちゃんにインタビューをして、
「聞き書き」という手法でまとめるというもの。

私は、兵庫の川西で茶道で使う炭をつくる
今西勝さんに聞き書きをした。

今西さんは、山のことを何も知らない私に、
里山の話を最初にしてくれた。

「山の木を切って使い続けることで山を守るんや」

小学校から森林伐採はいけないことだと
教わってきた私は、衝撃を受けた。
大学の市民講座にも連れて行ってもらって、
ようやく生態系の話や、山の構造、
人が暮らしていくこととの関係性が分かってきた。

「もっと多くの人に知ってほしい。」

率直にそう思った。
でも、友だちや先生にこの話をしても、
興味を持ってもらえなかった。
みんなにはもっと重要なことがある。

どうしたら、伝わるのだろう。

そんなとき、「広告」の授業があった。
広辞苑の「広告」と出会う。

私は小さい頃、
国語辞典を読むのが好きだった。

辞書をひらくと、知らない言葉に出会える。
つながりのある言葉を追って、世界が広げた。

「今日、広辞苑を散歩した。」

    花見ということばを調べていたら、
    なぜか上の方のパナマが目にとまる。
    へえ、パナマの公用語ってスペイン語なのか。
    せっかくだからと、花道、餞、はにかみ、
    ついでにハニカム構造に寄り道して、最後に
    パニクるとはパニックに陥るの意味だと知り、
    ようやく広辞苑を閉じた私であった。

授業で知った広辞苑のキャッチコピーは、
まさに小さい頃の私の体験を
魅力的に、広く告げる表現になっていた。

「これだ!」と思った。
魅力的な伝え方。

心で感じる価値を、伝わる形で表現する。
そこにはワクワクする気持ちや
涙が流れるような「心が動く瞬間」がある。

BOOKOFFで『広告批評』を買い、
ビレヴァンで広告の本を立ち読みする。
お正月の新聞広告が楽しみで、
録画したドラマもCMを飛ばさずに見た。

忙しく過ごしていた高校時代、
それでもずっと広告を好きだった。

大学生になると広告研究会に入って、
もっともっと広告を好きな人たちに出会った。

みんなで広告をつくるたのしさも知ったし、
誰かの役に立つ歓びも感じさせてもらった。

世界のCMフェスティバルで、
オールナイトでCMを見続けた至福の時間。

どれだけ好きでも、仕事にできなかった。

どこかでずっと、負い目を感じていた気がする。
真正面から「広告が好き」だと言えない何か。

でも、このポカリスウェットのCMを観たとき、
私は「広告を好きでよかった」と心から思った。

今の仕事も、間違いなく「広告」とつながっている。

「希望を生みだすこと」
私は、高校生や地域の人たちの居場所という形で。

コロナ禍で仕事がなくなって、
手をのばした今の仕事。

手をのばして、本当によかった。

はじまりの春。

そろそろ、藤の花が満開になる。

ずっとやってみたかったことを始めるのもいいし、
大きなことじゃなくて、ちょっとだけ
手をのばすっていうのもいいなあとおもう。

私自身は、長かった冬を越えて
「広告が好き」な私で、春をはじめる。